匠とは
こだわりを持って挑戦し続ける人は全て匠です
バーテンダーはホテルや街のコンシェルジュ
北新地というブランドの街が
お客様に安心して楽しく遊んでもらえる街であり続けること
それが今一番の私の挑戦です
兵庫県出身。辻学園調理技術専門学校在学中に洋酒の魅力に惹かれ、卒業後はパレスホテルに入社。パレスホテル東京「ロイヤルバー」での研修を経てレストランパレス大阪 ラ・クールのBAR「ONDINE」に配属、笹尾勝義のもとでバーテンダーとしての研鑽を積み、25歳で最年少チーフバーテンダーに昇格。その後独立し、北新地永楽町に2003年「Bar織田」を開業。THE GLENLIVET Best Brand Ambassador 2012をはじめ、数々のウイスキーにまつわる受賞歴を持ち、大阪府社交飲食業生活衛生同業組合副理事長、北新地社交料飲協会副理事長を務めるなど、料飲業界の発展向上にも積極的に取り組んでいる。酒の匠「織田 高央」オーナーに話を伺った。
織田高央氏にインタビュー
■バーテンダーになったきっかけ
幼稚園の頃から「将来の夢」を聞かれるとコック帽をかぶった自分を描いていました。
小学校も中学校も将来の夢は一流料理人でした。高校を卒業し、いざ辻学園調理技術専門学校に入ると、本気で料理人を目指す人は中学校を出て住み込みで働き始めている。自分は4年も出遅れているのだと思い、それなら頑張ってお酒を覚えようと思いました。そして専門学校の恩師の勧めで応募したパレスホテル大阪営業所のバーテンダーに採用されたのがバーテンダーの道を進むきっかけです。
■修業時代
まず、「このお酒は何ですよ」とか一切教えてくれないです。
カクテルのレシピは、パレスホテル初代チーフバーテンダー今井清さんの
「たのしむカクテル」という本を読んで覚えなさいと。
毎日メジャーカップで30mlを測ってちゃんと入れられるかとか。
1年目はシェーカーも持たせてもらえなかったです。
先輩方から直接教わったのは、バーとして、バーマンとしての考え、振舞い。
バーテンダーがホテルの顔やっていう時代だったので。
昔はホテルにコンシェルジュデスクが無く、お客さんは何かあればバーに来て、
バーで飲みながら、ウエディングだとか近辺のお食事処だとかそんな情報を
僕らが提供して楽しんでいただく。
今は北新地で営業していますが、お酒を作るだけじゃなく、
その街のコンシェルジュができるのがバーの役割だと思います。
■Bar織田での楽しみ方
1つは北新地のコンシェルジュです。
数々のいい先輩方と出会えて、早々に北新地社交料飲協会で副理事長、
大阪府でも副理事長をさせて頂いています。
その中で、普段なら挨拶もできないような北新地歴50年を超える大御所の方とも
交流を深めることができ、うちのお客様をそういうお店にご案内することができます。
もう1つは「世界に一つだけのボトル」システムです。
グレンリベットという私自身のベースになっているお酒があるのですが、
もうちょっと香ばしかったらな、もうちょっとスモーキーだったらなと
感じることがありました。それなら他のウイスキーをブレンドして
お客様お気に入りの1本を作ってしまおうと思って始めたのが
「世界に一つだけのボトル」です。
■北新地という街について
とにかく僕はこの北新地というブランドの街で働かせて頂いていますから、
やっぱりお客さんに安心して楽しく遊んでもらえるのが一番です。
その中には私達にもお客様にもルールがあるし、シェフやホステスさん、
この街で働く人皆さんにルールがあると思っています。
一見さんの皆様にもバーや飲食店を足掛かりに北新地の歴史やマナーを
知って頂き、北新地のブランドを守り続けたいと思っています。
北新地クイーンの発起人をさせて頂いたり、大和実業の岡田会長監修の
「ホステスきっと心得帖」を現代版に改め北新地用に
「ホステス心得帖」として35年ぶりに復刊したのもその思いからです。
(協力:株式会社林興産)
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