秀島 秀島 勝典大将

匠とは

盤石な基礎
積み重ねた経験そのもの

基礎や経験の裏打ちが
所謂「ばえる」料理や変わり種までも
地に足ついたものにする

食材の四季折々状態の変化を
目で見て、手で触れ、味見して
魚がどういう状態になれば一番美味しいか
見極め組み合わせて料理を作るのが匠ですね

匠プロフィール秀島 秀島大将
長崎県出身。子供の頃から料理が好きで、物心ついた頃から食に興味を持っていたという秀島氏。東京の調理師学校在学中に銀座の御三家といわれる「銀座 久兵衛」にアルバイトとして寿司の世界に足を踏み入れ、卒業後も久兵衛に就職、その後1996年開業の帝国ホテル大阪「銀座 久兵衛」の料理長として18年間、計35年間久兵衛で経験を積む。2016年大阪市西区に「京町堀 秀」、その後2019年北新地本通りに「秀島」を開業の寿司の匠「秀島 勝典」氏に話を伺った。


秀島勝典氏にインタビュー

■寿司の道を進んだきっかけ
子供の頃から食に関心があって東京の調理師学校へ行かせてもらったんですが、
在学中に久兵衛でアルバイトで使ってもらっていた流れで
「卒業したらうちに入ってもらったら有難いんだけど」となって
「はい、宜しくお願いします」と二つ返事で就職が決まりました。

1年目は掃除、先輩のまかない作り。魚は触れませんでしたよ。
僕の時代は縦社会ですから、先輩の言葉は絶対というか、
理不尽なこともたくさんありました。
逆にそれは励みになりますからね。こいつには二度と言わせるかと。
社長の指令を頂いて帝国ホテル大阪に来たのが30歳の時です。
久兵衛の中でも若い方で料理長を任され、頑張った甲斐があったのかなと思います。
総理大臣や議員の方がカウンターにお座りになっている前で握るのは
田舎者の僕にとっては別世界で、士気の高まる環境に恵まれていたと思います。

独立して初めての店は西区の靭公園に開業しました。
若い方の多い街ですが、21時を過ぎるとほぼ人が歩いていなくて。
夜の街銀座で働いていたので、今の新地のお店は自分に合っているなと思います。
久兵衛在籍中も料理長として責任ある立場を任されていましたが、
独立した今となっては「全てが自分次第」の重みをやり甲斐に変えて
枠組に囚われない表現や振舞いができているのではないかなと思っています。

■こだわりについて
《食材のこだわり》
季節のものは豊洲から入れるようにしています。関西には関西の良いものが
ありますからそれはそれで仕入れます。極力旬のものを出したいので
関西の市場にないときは東京から引っ張ってきます。あとはお客様のご要望で。
決まった食材だけではなく何が好きで何が苦手かで出す料理を決めています。

《シャリのこだわり》
塩とお酢だけで、赤酢は合うネタと合わないネタがあるので使いません。
マグロのトロとか穴子とか、味のしっかりしたものには合うんですが、
貝とかあっさりした者にはなかなか合わせられなくて。
お米を噛んで甘味を味わうんだったら塩と酢以外何もいらないと考えています。

《器のこだわり》
僕が地味な分、器は派手にしています。
形は僕の性格と同じでひん曲がっているというか、少し波打たせています。
有田焼で特別に焼いてもらったもので、全て違う釉を使っていて
色が全て違います。北新地に来てからこの器を使うようになりました。

匠プロフィール秀島 秀島勝典大将

■お客様との関係
うちは一斉スタートではないのでお客様が19時といえば19時スタートです。
希望されれば開店時間も早めます。臨機応変に対応したいので、ご希望に添えるよう
どうにか対応するようにしています。

初めてのお客様には初めは嫌いなものだけ伺いますが、徐々にこういうのが
好きなのかとチェックして置いて、次回来られたときには~~が好きでしたよねと
言うと喜んで頂けます。

うちのお客様で、他ではコハダを食べないけど、うちでは
コハダばかり20貫くらい召し上がる方がいらっしゃいます。
「塩で〆てお酢に軽くくぐらせただけ」の
単純に表現できてしまう仕事ですが
これまでの僕の経験値やノウハウがぎっしり詰まっているんですよ。

匠プロフィール秀島 秀島勝典大将

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