匠とは
瞬時に判断し即応する能力があること
どんな状況にも対応できるように
常に向上心を持ち知識と技術を磨き続ける
考え抜いた幾通りものご注文想定が
実を結ぶこともあれば
思い通りに運べないこともある
それでも考えを巡らせ想定と工夫を重ねる
刻々と変化し訪れる波に一筋の道を見出し
軌道を整えながら作った流れの先に
お客様の満足があると嬉しいですね。
大阪府吹田市出身。調理師専門学校卒業後に進学した日本料理技術研究所で日本料理を学び、浪速割烹「㐂川」で14年間研鑽を積んだ岩下寛季氏。その後2年間様々なジャンルの料理店で経験を積み、ミシュラン8年連続三つ星獲得の「北新地 弧柳」料理長に就任。2020年には北新地 弧柳の松尾慎太郎オーナーが老松喜多川の2号店である「十六」を1年間限定でリニューアル営業した際の料理長を務めた。2021年11月に淡路町へ移転開業した「弧柳」オーナー松尾氏の心を継ぎ、生まれ変わった「弧柳 継心」。日本料理の匠「岩下寛季」料理長に話を伺った。
岩下寛季氏にインタビュー
■料理人になったきっかけ
子供の頃からもともと料理には興味がありましたが、高校生の時に買ったバイクのローンを支払うために焼肉屋さんでアルバイトを始めたのが直接のきっかけです。野菜を切ったり綺麗な盛り付けのコツを教えてもらったりするうちに、だんだんできるようになっていくのが凄く楽しくて、包丁を使うことが好きになりました。土日の学校が休みの日は食材の仕込みから入らせてもらったりもしました。
進学を決めるときには料理の専門学校に行きたいという気持ちが固まっていたので、1年間調理師専門学校で料理全般を学び、その後に日本料理技術研究所に入所し、1年間日本料理の調理場の各ポジションを実践で習いました。
そこでは数々の名店の料理人の方が外来の講師で来てくださったのですが、中でも浪速割烹「㐂川」のお料理にすごく興味を持ってしまって、担任の先生に相談してそのまま㐂川で修業させて頂くことになりました。
■修業時代について
㐂川では14年間お世話になりましたが、始めは3年近く皿洗いをしていました。1年何かを担当すれば2年目は別のことをする、という決まりがあるわけではなくて、いつ自分が上に上がれるかもわからない、またいつ元の所に戻るかもわからない。とにかく毎日頑張るしかないと思ってやりました。頑張ることを辞めようと思ったこともあったんですけど、やっぱりちゃんと頑張っていれば次があるんだなという経験もしました。
2年目はまかないを作っていましたね。店の料理は一切作っていませんでしたが、まかないを先輩達に食べてもらい、味付けを評価してもらって、経験を積みました。
厳しかったのは自分にも後輩が出来た頃です。下の子がミスをしたときは面倒を見ている先輩の方が怒られます。当時は「自分はちゃんと教えたし、知らないよ」と他人事のように感じたこともありましたが、自分は自分の新しい仕事を経験しながらも、若い下の子の面倒をしっかり見なければ更に上に行くことができないのだと学びました。「弧柳」松尾オーナーとは当時㐂川の料理長をされていた頃に出会い、約6年間随分面倒を見て頂きました。
■弧柳 継心について
松尾オーナーから「弧柳が移転した後もこの場所に店を残してやってもらおうと思っている」という話を頂きました。「弧柳」の名前でこの場所で任せて頂けるという話は自分にとって物凄く有難いことだと思い、是非やらせて頂きたいと返事をしました。
「弧柳」はコース料理のみで、満席でも事前に料理を準備しておいて、それぞれ一斉に仕上げていく形式でしたが、「弧柳 継心」は始め3品のおまかせ料理の後に単品でお客様にお好きなメニューをご注文頂いています。
調理や配膳では、事前に思い描いたストーリーがあっても、途中で注文が入ったら「こっちに今手を掛けておかないと次に出すのが遅れるから先にこっちやっておこう」と軌道修正を掛けながらマルチで頭をフル回転させています。お客様のペースを見ながら2人で連携して調理しています。
■こだわりについて
お客様には来ていただくからには必ず満足して帰って頂かないと、という気持ちは常に持っています。毎日食材を見て、これはこうすれば美味しくなるんじゃないか、こう配膳したら喜んで頂けるんじゃないかとか、1日1日変化を出せるように考えています。
常連さんが増えてきたとしても毎回楽しんで頂けるように、定番メニューは70から80品用意しています。注文したかった料理をその日に食べきれなくても、またもう1回来て次はこれを食べようと思って頂きたいです。
食材の仕入れや、お客様から頂くオーダーに臨機応変に対応するのは大変なこともありますが、失敗した経験を活かして改善したことや工夫したことが実って、お客様に喜んでいただけたときは本当に嬉しいですよ。
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